家庭を優先できる仕事をしたい!けれど、私には無理…またいつか…と踏み出せないあなたへ。その気持ちもよくわかりますが、「いつか」は永遠にやってこないことも現実です。「あの日」を迎えるいま、繊細な子どもを育てるママの働き方を真剣に考えてみてほしいのです。 |
「あの日」のこと、覚えていますか?
普段はテレビをほとんどつけない我が家ですが、この時期になると、意図的に、子どもたちと一緒にニュースを見ます。
日本で起こったあの「事実」を子どもたちにも知ってほしいからです。
2011年3月11日14時45分。
あなたはあのとき、どこで何をしていましたか?
私の「あの日」「あのとき」
当時私は、渋谷区の教育委員会に専門相談員として勤務していました。
その日は学校の巡回もなく、一日区役所で勤務をしていたと記憶しています。
午後の時間。
ミーティングも終わり、穏やかな雰囲気の中でみんながそれぞれ仕事に取り掛かる中で、あの大きな揺れを感じました。
NHKのすぐ前にある区役所で午前中に行ったお子さんの心理検査のまとめを自分のデスクでしていたことを鮮明に覚えています。
あのとき、真っ先に頭に浮かんだのは小学校の教員をしている夫のこと。
この揺れ。尋常ではない。
きっと今晩、彼は帰宅できないだろうな。
そんなことが真っ先に頭によぎりました。
緊急事態に我が子の元へすぐに駆けつけられなかったら…どんな気持ちだっただろうか
小学校の教員だった夫が帰宅したのは深夜の1時過ぎでした。
当時は3年生の担任をしていたのですが、最後の児童のお母さんが必死で学校に迎えに来たのが12時をまわったころ。
学童の畳の部屋に布団を敷いて、3年生のその子と一緒に添い寝をしながらお母さんが到着するのを一緒に待ったそうです。
当時、私にはまだ子どもがいませんでしたが、二人の娘を育てる今なら、わかります。
あのとき、12時過ぎに必死で駆けつけたお母さんの気持ちが。
我が子は無事か?
ごはんは食べられたのか?
寒い思いはしてないか?
心細くて泣いてはいないか?
きっと一人、二人とお迎えが来て帰っているんだろう?
最後の一人になってはいないか?
早く会って抱きしめたい…!
あの日は、電車も車も都心の交通機能は全て麻痺していましたから、その子のお母さんは職場のある新宿から、学校のある品川まで、歩いて帰ってきたに違いありません。
仕事の関係で、地震後すぐに帰宅はできなかったのだと思います。
きっとすぐにでも我が子の元に駆けつけたかったはず。
だけど、仕事として、果たさなくてはいけない役割はある。
仕事はとても大事です。
だけど、あんな緊急事態のときに、家族の側にいられない。こんな悲しいことってあるでしょうか?
「あの日」を経験したからこそ。私が働く上での絶対条件
私は今、自宅にオフィスを構えて仕事をしています。
何かあったときに、誰よりも先に、我が子の学校へ駆けつけられる距離にいたい。
それが私が働く上での絶対条件です。
仕事のほぼ全てをオンラインでできる形を選び、自分の采配で、全ての時間割を決められる。
職場も勤務時間も決まっていない分、自分で全て決めないといけないため大変なこともあります。
だけど、私はこの働き方を選んで本当に良かったと思っています。
あれから、もう11年です。
コロナの騒ぎもまだ続いています。
自分が働く理由。
誰のために働き、誰のそばにいたいのか。
真剣に考えるタイミングなのかもしれませんね。
自分の人生を自分で決めて歩き出したあるママ
私は毎年、この時期になると震災に関するメルマガを書きますが、そのメルマガへ、一緒に仕事をしている仲間から素敵な返信をもらったことがあります。
彼女は元小学校の先生。
自分の意思で、子どものために学ぶ!と決め、そして、新しい生き方として、今度は起業してたくさんの親子に寄り添いたい!
そんな思いを行動に移した素晴らしい仲間です^^
彼女のメッセージがきっとあなたにとっても、ご自身のこれからを考える上で何かヒントをくれると思うのでご紹介します。
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石澤さんのメルマガを読んで、しみじみとあのときをおもいだしました。
あの日のあの時間、体育館で授業の真っ最中でした。
避難訓練は基本的に教室でやることが多かったから、体育館は避難先であることが多いんですよね。
避難先になるくらいだから大丈夫、落ち着けと自分に言い聞かせながら、子どもたちをその場にしゃがませて揺れをやり過ごしました。
学級崩壊していた6年生が、先生の制止を聞かずに校庭に飛び出してきていました。
信頼ってこういうときに表出するんだって実感しました。
どんなに正しくても、不信感プラスパニックになったら、一切耳を貸してもらえない。
幸いにも、誰一人怪我をしなかったのはよかったです。
その後校庭に避難。
いつもと違う雰囲気に、泣き出した子を抱きしめながら、どうなるんだろうと不安に思っていました。
子どもたちの最後の一人は夕方には迎えに来てもらえて、本当にほっとしました。
今、自分の子どもを育てていて思うのは、自分の頭で考え、自分で判断し生き抜くことができる子を育てていくこと。
大人がいなきゃ避難できない、大人がいなきゃ判断できないのは、きっと将来困る。
それに加えて、信頼できる人がいること。
それが重要なんだと思っています。
自分の子どもに、自分で考え判断する力をつけることと、
そのために、講座で学んだ方法で、親子の信頼関係を結ぶことはすごく大切なことだと思います。
そして、石澤さんのおっしゃった、いつでも駆けつけられること。
私も、仕事をする絶対条件は、自宅で出来ることです。
そういう意味では、今後教員に戻る事はないなと思っています。すごくすごく好きな仕事ではありましたけど…。
起業して、子どもや保護者の方と関わりながら、家庭を優先できる働き方をして行くことが出来るので、今からそれが楽しみです。
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家庭を優先できる仕事をしたい!というあなたへ知ってほしい働き方
言い訳して踏み出せないのはあなたのせいじゃない。けれど…
「いつか」自分も理想の働き方を考えたい。
だけど、きっと今がそのタイミングじゃない。
確かに、家庭を優先できる仕事をしたい。だけど、現状ではできない。
それに世の中にはそういう人も必要だから、自分ばかり「子どものそばで」なんていうのもおかしい。。。
ほとんどの人は自分が動かないことの「言い訳」として今決断しなくていい理由を探します。
これは、その人が悪いとか弱いとか、そういう問題ではなく、脳の機能として、備わった思考パターンです。
変化は怖いです。
適応するのに、未知のことが多すぎる。
だから脳は自分を守ろうとするのです。
だけれども、「いつか」は永遠にやってこない。
これもまた、事実です。
他の子より繊細な子どもを育てるあなたこそ。この機会に考えてみてください
きっとこの記事を読んでくださっている方の中にも、当時幼いお子さんを迎えに行けず、胸の潰れる思いをされた方も大勢おられると思います。
当時私には、まだ子どもはいませんでした。
学校にいる子どもたちのことはとてもとても心配でしたが、私自身は、自分の身の安全だけを考えれば良い立場でした。
その日、私は、職場のある渋谷から、自宅のある品川まで5時間歩いて帰宅しました。
いえ、5時間で家にたどり着ける距離だったのはむしろ恵まれている方だったかもしれません。
けれど、幼い子どもにとって5時間という時間は途方もなく長い時間に違いありません。
ましてや、読者のみなさんのお子さんはもしかすると、
他の子どもたちよりも繊細で、
他の子どもたちよりも「いつもと違うこと」が苦しくて仕方なく、
大きな大きな不安を抱えながら待つしかない状況で過ごしていたかもしれません。
だからこそ、知ってほしいのです。
子どものことを第一に考えながら、発達の仕事を家でできる、という選択肢があることを。
私が今養成している発達の専門家は全員、元々は普通のママ・パパです。
むしろ、子育てに悩み尽くし、私のところに助けを求めて集まったという意味では「普通」になりたくてもがきながら子育てに悩み尽くしてきた方たちばかりです。
本当に、一生懸命で素敵な方ばかり。
だからこそ私は、彼女たちが自信を持って「私は発達の専門家です^^」と胸を張ってお仕事できるよう育成を始めています。
そして、子どもが望んだら、近くにいて一番最初に我が子に安心感を与えられる距離感で人の役に立つやりがいを感じながらきちんと収入を得ていくライフスタイルを実現させるサポートをしています。
あなたは今のご自身の働き方に満足していますか?
何かあったとき、誰よりも先に我が子のところへ駆けつけてあげられますか?
「あの日」を迎える年度末のいま、ぜひご自身の働き方やライフスタイルについて考えてみてくださいね。
執筆者:石澤かずこ
(お母さんの小学校★ななほし代表)
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