教室にいられない多動の子の将来。才能を輝かせ続けたお母さんがしていたこととは

落ち着きがなく、多動で教室にいられない子。将来はどうなるの?と不安なママへ。わたしの兄がまさにこのタイプでしたが、今では医師として立派に働いています。こんな未来を手に入れた背景には、彼の才能を輝かせ続けどんなときも味方でいた母の言葉と行動がありました。

教室にいられない子だった兄の話

保育園時代からわんぱくで、よく動いていた兄。
小学1年生になってからも、椅子に座って授業を聞いているのが苦痛で、いつもフラフラしており、廊下に立たされていたそうです。
(現在では考えられないかもしれませんが、当時は、しっかりと座って授業が聞けなかったり、お友達にちょっかいを出すとすぐに廊下に立たされる時代でした。)
よく動く兄は、廊下にずっと立ってはいませんでした。
一人で校内を探検したり、校庭の真ん中で遊んでいたりと、それはそれは楽しく過ごしていたようです。まさに、自主課外学習を毎日行っていたのです。
担任の先生が反省したかなと思って廊下に様子を見に行くと、廊下にいないことは当たり前…担任の先生をいつもハラハラさせていたようです。
当時はまだ「発達障害」という言葉も現在のようには浸透してはいませんでしたが、
今であれば、お母さんが呼び出され、「お宅のお子さんは授業を座って聞くことができません。ちょっと落ち着きがないようなので病院に受診してみませんか?」と言われていたかもしれません。
落ち着きがなく、座っていられないということで医療を勧められ、検査を受けさせられる。
そして診察の結果、発達障害の注意欠陥多動性障害(ADHD)という診断がついていたかもしれませんし、座っていられないことを取り上げられたら、薬も処方されていたかもしれませんでした。
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「多動」という「才能」

私の兄は、小学校2年生の終わりまでよく動いており、給食以外は教室に入れないでいました。
なぜよく動いていたのか?
それは、教室よりも外に、彼の目に映る魅力的なものがたくさんあったからです。
大きな校庭で、なぜ草はここだけ沢山生えているのか?
学校の教室はなぜこんなにたくさんあるのか?
なぜ体の模型が置いてある部屋があるのか?
などなど…。
なぜ?なぜ?
理由を知りたい!!
その思いが彼の原動力となっていたようです。
発達障害・ADHDの子どもの、多動興味を持ったら一直線といった特性は、ときに疎まれてしまうことがありますし、こんなにじっとしていられなくて将来は大丈夫なのだろうか、と心配してしまいますよね。
けれども、実は知らないことを自分の力で知りたいという素晴らしい才能でもあるのです。
自分が興味を持ち、知りたいと思って調べたり聞いたりすることは、誰かに教えられるよりもずっと記憶に残りやすいのです。
それは、自分が能動的に動くことで目的が達成できるから。
兄は、小学校2年生の終わりまで「自分の抱いた疑問は自分で解決していきたい!」という才能を発揮し、教室にあまりいなかったようでした。
幸い、当時の担任の先生は兄のことを理解してくれており、兄の毎日の脱走に胃を痛くしながらも見守ってくれていたようです。
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教室にいられない多動の子の才能を輝かせるために。お母さんにしてほしいこととは?

「わが子だけ教室に入って授業を受けていない。」
たいていのお母さんは、先生に対しての申し訳なさや、わが子だけ教室にいられないという恥ずかしさで、子どもを叱りつけたり言い聞かせたりするかもしれません。
しかしながら、母がそのことについて兄を叱る姿を見たことはありませんでした。

発見できたこと(=才能)を褒めて、興味関心を広げる関わりをする

その代わり、実際にやったことは、
「あら、そう。それで何を見つけたの?何が分かったの?へえー。低学年のうちは課外活動が多いのねえ。」
と、わが子のやっていることに対して興味関心を示す声かけをしたとのことでした。
もしかすると母は、兄が「落ち着きのない男の子だな。」と言われていることに気づいていたのかもしれません。
実際、私が母からこの話を聞かされたときには、「普通に授業を聞いているんだと思ったら、一日外にいましたなんて話を先生から聞いたとき、顔から火が出るくらい恥ずかしかったよ。」とも話していましたが、
「教室に入って授業を受けなさい。」とは言わず、彼が何か発見し報告してくると必ず褒めていたようでした。
また、星に興味があれば夜通し天体観測をし、昆虫に興味があれば卵からふ化させ、カビの発生しやすい食べ物はなにか?なんてこともよくやっていました。兄が興味を持ったことは母が一緒になって行っていたのです。
まず、「多動で落ち着きがなくて、教室にいられない子」ではなく「様々なことに興味関心を持ち、自分で解決できるように努力できる子」と捉えること。
さらに、その才能を褒め、ママが一緒になって興味関心を持つこと。
これらの関わり方が、兄の多動を才能として伸ばすことにつながっていたのです。

教室にいられなかった多動の子の将来

兄が、自分の力で見たい知りたいという気持ちが落ち着き、教室に入って授業を受けられるようになったのは、小学校3年生に上がってからだったそうです。
そんな兄も大人になり、今は医師として日々患者さんの治療にあたっていたり、新しい治療法を求め研究するという、忙しく動き回る毎日を送っているようです。
まさに小さいころからの才能を大人になった今も活かしていると言えますね。
教室に入れないことを否定され続けていたら、兄の未来は違ったものになっていたかもしれません。
自信を失い、何事にも挑戦しようという意欲がなくなってしまったかもしれないのです。
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お母さんがいつどんなときも味方でいること

多動や衝動性のコントロールが未熟な幼児期の子どもは、幼いときから何かと怒られたり、叱られたりすることが多いかもしれません。
しかしながら、身近にいるお母さんが、いつどんなときも味方でいてくれる、やっていることに肯定の姿勢を分かりやすく子どもに伝えることで、子どもはしっかりと体も心も発達を遂げていくことができるのです。
昔とは教育の仕方も、私たちを取り巻く環境もずいぶん変わりました。
けれど、子どもの発達を加速させる方法は今も昔も変わらないのです。
兄のエピソードからは、どんなときもわが子の才能を認め肯定していくことが、子どもの自己肯定感を高め、自信を作る基になるのだと改めて思いました。
見たい知りたい、分かりたいという気持ちを体全部で表現する子どものママ、自信を持って彼らの才能をしっかり伸ばしていきましょうね!
執筆者:西村まる恵
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