トイレすら行けないほど、片時も気の休まらない育てにくい子の子育て。私も、ワンオペ育児も加わって、疲労と孤独感、劣等感を味わいました。けれど、ある一歩を踏み出すことで人生の歯車が大きく動き出したのです。この記事では、私の子育ての記録をお話しします。 |
育てにくい子の子育てに孤独を感じ、取り残された虚しさを感じているあなたへ
発達障害のある子、
グレーゾーンの特性がある子、
HSC(ひといちばい敏感)の気質がある子。
人とちょっとだけ違う脳の作りを持って生まれてくる子どもたちは、生まれたときから飲まない、泣き止まない、起きない、寝ないなど、微妙な「育てづらさ」を持っていることが多いです。
実はその特性を持つ子どもたち、少なく見積もっても、人口の20〜30%以上にのぼります。
乳幼児期の「育てづらさ」は、ほとんどのお母さんは
・自分のお母さんとしての能力が劣っているからだ
・いいお母さんじゃないからだ、
と自分を責めるほうへ向かってしまいます。
誰にも相談できずに、自分が悪いのだと自分を責め続けてしまうのです。
私も同じように、どんどん自分を責めるスパイラルにはまっていきました。
この記事では、退院してから始まった地獄のような(苦笑)育てにくい子の子育ての記録をお届けします。
そして、そのどん底から私がどう抜け出したのか、ストーリー仕立てでお届けするので、あなたがもし同じような状況なら、ぜひ参考にしてみて欲しいと思っています^^
孤独感と劣等感とともにスタートした育てにくい子の子育て
私の子育てはいつも孤独でした。
「この子を一生守っていこう」心の底から溢れた愛情
長女が生まれたのは7年前の3月です。何度もうまくいかず、あきらめかけたときに授かった命でした。
それはそれは嬉しくて、だけど、もしかしたら明日になったら心拍が止まってしまうんじゃないかって、生まれてくるまで気が気ではなかったことを覚えています。
子どものためにできることはなんでもやろうと思いました。
自分の体質を改善しようと薬膳や食べ物の陰陽の勉強を始めたり、冷えとり靴下を大量に買って体を温めたり…
そんな風にして迎えた長女の誕生。
出産は3日間もかかる大仕事でしたが、無事に生まれてくれたとき
「私がこの子を一生守って行こう。」
心の底から言葉が溢れました。
「普通にできることが私にはできない」劣等感とともにスタートした子育て
心震える感動は、実は生まれた瞬間だけで(笑)、体が痛くて動けない、まともに座れない中で、否応なしに数時間おきの授乳が始まりました。
母子分離の病院でしたから、1時間経つとナースコールが鳴って新生児室まで痛い体を引きずって歩き、授乳しに行かないといけません。
長女はずっとずっと眠ったままの子で、授乳が全くうまくできませんでした。
ほっぺをつねって起こしても(そんなことする看護師さんを鬼だ!!なんて思ったっけ。)、揺すっても何しても、おっぱいをくわえながら寝てしまう。
体重が急激に減ってしまい、仕方がなく砂糖を溶かしたお水を飲ませるしかありませんでした。
(食べ物のことを勉強していたので、生まれたばかりの子に砂糖を与えることがものすごく辛かったな…)
他のお母さんは普通にできている授乳が、自分はうまくできないこと。
産後の不安定な私には残酷すぎるくらい辛くて、毎晩毎晩泣いていました。
「こんなに飲めないのは何か異常があるからかも!?」と、一緒には退院させてもらえず、長女は検査入院となりました。
結局のところ、何も異常は見つからず、「この子は究極のマイペースちゃんなのね」ということで退院となりました(苦笑)
今思えば、なるほど〜今の長女のまんま!と笑って愛おしくさえ思えますが、私の子育てはスタートから
「みんなが普通にできることが私はできない」
という孤独感と劣等感からスタートしたのです。
「トイレすら行けない…」片時も気が休まらない育てにくい子どもとの生活
長女が生まれた翌日から、
「みんなが普通にできている子育てが自分はできない」
という感覚と隣り合わせで始まった私の初めての子育ては、退院後どんどん大変になりました。
起きてくれない、飲んでくれない、と静かすぎて悩んだ入院生活から一変して、
帰宅すると、寝てくれない、泣き止んでくれない、に変貌した長女。
ずっと抱っこしていないとすぐに泣き出してしまうし、
ようやく寝た、と思って布団に寝かせようとすると背中にセンサーでもあるようにパチっと目を覚ますのです。
トイレすらいけない…
産後は実母が手伝いに来てくれていたのですが、一人でシャワーを浴びているとシャワーの音に紛れて娘の泣き声がするような気がして、
本当に気が休まる時間がありませんでした。
ワンオペ育児に不満や孤独感ばかり募る日々
夫は当時小学校の先生をしていたので、どんなに頑張って帰ってきてくれても19時前に帰宅することは難しく、
実家の母が帰ってしまってからは一日中、腱鞘炎になるまで娘を抱っこして、ヘトヘトになって、部屋の電気をつける気力すらなく、
真っ暗な部屋の中で長女を抱いたまま座り込んで寝てしまうことも度々ありました。
夫は長女を溺愛していて、休みの日はよく遊んでくれましたが、仕事の仲間と普通に飲み会も行くし、休日に勉強会に出かけることもよくあり、子どもが生まれてからも自分のやりたいことを自由にしていました。
あなたが帰ってきてくれないと私は電気もつけられないのに。
私や娘と仕事、どっちが大事なの!?
父親としての自覚、ないんじゃないの!?
相手を思いやる余裕なんてこれっぽっちも残っていなかった私は、夫を泣きながら罵倒することも何度もありました。
家にいると娘と二人きりで煮詰まる。
かと言って、外に連れて行って予期せぬ場所で大泣きされることが本当に怖かったし、
児童センターなど子どもが集まる場所は他の親子が幸せそうで、自分だけがうまく子育てできていない惨めな気持ちになるので心が休まる場所がありませんでした。
「一人ぼっちなんだ」ってどんどん孤独感が増して行きました。
信頼できる児童館の先生に一度だけ、相談したことがありました。私を慰め、労ってはもらえましたが、
「もうちょっと大きくなったら落ち着くと思うよ。もう少し寄り添ってあげようね。きっとこの子は感受性の豊かな子だね」
と言われただけで、今どうしたらいいのかを教えてもらうことはできませんでした。
私にとってはお母さん、もっと頑張れ!と言われている気分になりました。
あのとき、出会えていたら…
子どもの脳を伸ばすコミュニケーションを知った今は、
長女にうっすらと社会性の特性があること
私は頑張っていなかったのではなく長女に合った頑張り方を知らなかっただけ
ということを知りました。
私がそのメソッドに出会ったのは、長女が落ち着いて、次女の子育てが始まり、次女の癇癪に悩んだときでした。
つまり、今日お話しした長女の乳幼児期から数年後に出会うことになります。
もっと早く出会いたかったと心から思いました。
早く出会えていれば不要に自分を責めることも
長女にどう関わったらいいか分からず途方に暮れることもなかったのにな…
そんな風に思います。
この記事の続編として、私がある一歩を踏み出したことでそのメソッドに出会い、人生の歯車が大きく動き始めたお話をお届けします。
毎日、毎日、朝から晩まで子どもたちに付き合ってそれはそれで幸せだけど、なんだか社会から切り離されているような虚しさや焦りを感じているママに向けて書いていきます。
あなたの一歩を踏み出すきっかけとなったら嬉しいです^^楽しみにお読みくださいね。
続編はこちらから!
執筆者:石澤かずこ
(お母さんの小学校★ななほし代表)
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